石巻〜牡鹿半島〜女川

2011.9.2〜3

夜、AWA311とともに石巻に向かった。
どう考えても入らないだろう、という量の野菜やら衣類を車に詰め込んだ。
夜、8時過ぎに出発、院長は直前まで仕事で、
こんなハードスケジュールでやれるのは、医者と看護婦だけだろう。
さすが、途中で1時間ばかり、車中で仮眠をとった。
石巻に着いたのは、朝6時頃だった。

少し休んでから、わたしは炊き出し部隊と合流した。
石巻は前回来たから、市街地の様子は少しわかった。
渡波地区の黄金浜会館へ行った。
もう、ここで避難生活をしている人はいないのだけれど、
「炊き出し」を依頼されて、250食のカレーとサラダづくりのお手伝いとなった。
周囲の仮設住宅から、たくさんの人々が来た。
持ってきた衣類もずいぶん持って帰った。
ここでは一見するとみんな明るい顔をしていた。
明日の炊き出しの準備で、豚汁にカボチャを入れるかどうか、
議論する程、みんな元気だった。
それでも、まだ下着がない、というおばあちゃんの話を聞くのはつらかった。

次の日の避難所を回るため、牡鹿半島から女川へ向かった。
牡鹿半島の海岸地区は、同じ石巻市といえども、
市街地とはまったく様相が違っていた。
海岸や港は地盤沈下し、辺り一面、海の続きのようだった。
がれきもそこかしこに積み上げられているだけだった。
匂いもあった。
驚くような場所にこじんまりと仮設住宅が集まっていた。
周囲には食料さえも買えるような場所は、すっと見当たらない。
どうやって暮らしているのだろう、と思った。
聞けば、時々、車で物資が運ばれたり、食料を買うこともできるようだった。
それでも、この荒涼たる風景の中で生きるのは、
困難だと思った。

女川は原発の町だった。
この原発が壊れなかったのは、奇跡のようだった。
原発は高台にあった。これが功を奏した。
明日はこの女川で炊き出しをしたり、物資を配ったりすることになっていた。

地域地域で、復興の格差が生じていた。
牡鹿半島の海岸地区で、まるで置き去りにされたように、
仮設住宅で生活をしている人々のことを考えた。
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by boshu-moyai | 2011-09-11 22:49 | 被災地と房州をつなぐ