石巻市慰霊祭 灯籠流しと竹灯篭

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竹灯篭は 一夜限りの灯り
灯籠流しは 戻ってくることのない 一回きりの船出

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竹灯篭を作るのに、11月には山に入り、竹を切る。
灯篭にするには、その年の竹を使う。
竹自身の油が、蠟燭の火の照り返しとなり、灯りは美しく輝くそうだ。
一度使った竹には、煤が付き、灯りはやはり映えなくなる。

一夜限りが最高の竹灯篭
わんだらのしのちゃんから聞いた話

一夜限りの竹灯篭を石巻に届けたみなさんは、とても謙虚に黙々と働いた。
わたしはこの日のために、皆さんが何日もかけた準備を、
ひとつも手伝うことが出来ず、この当日だけの参加となった。
それでも、こんな機会を頂いたことに、深く感謝した。


石巻は、大きな地方都市だった。
地盤が沈下し、駅前の北上川の川辺は、満潮時には地面から水が湧き出て、
辺り一帯を大きな水たまりとした。
北上川の川幅は、何メートルか広くなった。
設置準備が終わり、点火まで少し時間があった。
川縁を自転車を押していたおじいちゃんと話しをした。
車で逃げた若い人と、老人はだめだった。
みんな流された。と淡々と話した。
5月もここを訪れた人から聞くと、マチナカはずいぶん片付けられたようだった。
確かにマスクも必要ではなく、一見すると、暮らしは元に戻りつつあるようにみえた。
でもそれは、
わたしたちがこの場所に午後1時に着き、ひたすら慰霊祭の準備をしていて、
外を見る機会がなかったから、
だった。
慰霊祭が終わり、ホテルに着いたのは10時を回っていた。

朝早く、地震があった。
翌朝、バスは石巻の湾岸から市内を抜けた。
石巻は想像以上に、大きな地方都市だった。
湾岸には、多くの工場が建ち並んでいた。
水産加工の工場はもちろんのこと、
製紙工場、段ボール工場、プラスチック工場、化学工場、なにやらわからない、
たくさんのかなり大規模な工場があったのが、想像できた。
壊滅だった。
ここでたくさんの人が働いていたんだ、と思った。
みんな仕事をなくした。
命をなくした人もいるのだろう。
工場からでた、たくさんの原材料が山となっていた。
紙、材木、発泡スチロール
廃棄となった車の山もあった。
市内で、片付けられた、と言われた、流された車は、ここにあった。
地盤沈下で、水がひかない田んぼがあった。
居住地では、吸い上げポンプを設置している所もあった。
家々がそこに建っていたであろう痕跡、土台だけが残る。
家が残っている。けれどそれは半壊、または全壊に近く、そこにあった。
一面の一面の、被災のあとだった。

言葉を失いながら、見ていた。
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by boshu-moyai | 2011-08-03 11:39 | 被災地と房州をつなぐ