公開講座「元禄地震と津波」

房州舫2011企画 vol.4

今回の、みんなで学ぼう・考えようは、
歴史から学ぶ公開講座、「元禄地震と津波」です。

未曾有の規模の地震と津波、そして福島原発の事故という人災まで蒙った日本ですが、
この東日本大震災の後、南房総の行政や人々の意識は、どのように変化したのでしょうか。
今でも、南房総は自然災害が少なく安全なところだから、
という自信に満ちた発言は、行政を含め、人々の間でも至る所で聞かれます。
本当にそうでしょうか。
南房総市でも、様々な自治組織で防災訓練が始まっていますが、
津波避難の訓練は実際に役立つものとして、改善されたのでしょうか。

行政は、わたしたち市民は、東北の人々から何を学んだのでしょうか。

東海、東南海、南海地震、そしてまたそれらが連動して引き起こされる巨大地震。
また、それらにも増して、地震発生の可能性が高い、房総沖地震。

改めて、房州の地震を歴史で検証し、
今後の地震津波対策を、みなさんとともに考えたいと思います。


【日 時】10月1日(土) 午後2時〜4時
【場 所】南房総市千倉公民館
【講 師】青木嘉男氏
【後 援】南房総市教育委員会
【問合先】房州舫事務局   TEL/FAX. 0470-44-1780
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# by boshu-moyai | 2011-09-27 07:02 | 学習会

「イフンケ」   宇梶静江さんから

アルラッサー オホホホ
母はいつも ここにいて
子守唄を歌っているよ
元気で暮らしているかい
どこへ行っても何をしていても
身体を大切にしておくれ
もしも道に迷ったら
苦しいことにであっても
あなたに渡した
絆という名のあの縄を
けっして離さないでおくれ

アルラッサー オホホホ
地上を歩くものたちも
地下に生きるものたちも
空を舞うものたちも
共につなぐ生命の縄を
思い出しておくれ
いとしい子らよ

アルラッサー オホホホ
共につなげる生命の縄を
もしもどこかで
傷つくことがあっても
痛みは共に伝わるよ
いとしい子らよ

アルラッサー オホホホ
忘れるなよ
あなたが悲しみに遭ったとき
絆という名のその縄を
きっと心でにぎりしめ
共に絆をとりあって
けっしてけっして忘れるなよ
すべてのものに
地球という名の母さんが
あなたに手渡した
絆という名の生命の縄を

アルラッサー オホホホ
忘れるなよ
離すなよ
いつも母さんはここにいて
唄っているよ
子守唄を
唄っているよ



*「イフンケ」というのはアイヌ語で
 「母」または「地球」という意味。
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# by boshu-moyai | 2011-09-19 20:12 | いのちのメッセージ

「被災地から学ぶこと」亀田総合病院 小野沢医師からの報告 2

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小野沢先生からの講演は、歴史から見た安房の地震の話となった。
伊藤一男氏の「房総沖巨大地震ー元禄地震と大津波」の本をもとに、
鴨川、前原地区では900戸の家が流され、1300人が死亡したこと、
また、高台に登り助かった人々がいたが、その高台は、かつて津波避難のために、
人工的に作られてものではないか、ということ、
また、話は被害のひどかった和田の真浦のことまで及んだ。

それから、市民がすべきこととして、
1.各個人で避難場所と避難経路の確認をすること
2.家族の集合場所を決めておくこと
3.区長・民生委員を中心に周辺の要支援者の把握と避難経路の確認をしておくこと
4.歩行が困難な人がいる場合は、介護保険を利用して車椅子を借りること
5.一度避難した後、避難していない人を助けに戻らないこと
6.薬を常用している人は、2週間くらいは余分に持っていること(特に糖尿病の人)


また、行政がすべきこととして、
重要なのは、意思決定の速さと柔軟な対応である、と指摘した。

そして

1.災害救助法に精通すること
2.権限委譲も含め、災害発生時の意思決定の仕組みを検討する必要があること
3.ボランティアの有効活用する仕組みを作ること
4.物流を円滑にする仕組みを作ること
5.避難所運営のマニュアルを作成する必要があること
6.要介護者は7日以内に医療施設、または域外に移動させること

などを挙げた。

市民がすべきことの1と2は、すでに個人で家族で行われているであろう。
3と4は要支援者の避難の問題である。
自主防災組織や民生委員の協力で避難の方法を考えなければならない。
要支援者や高齢者が家族や周囲に迷惑をかけたくない、という気持ちから、
逃げない、という選択をすることがある。
しかしながら、見捨てていくことの方が難しいのであり、車椅子を借りる、という方策で、
逃げる、という選択肢を持てるのであれば、家族共々、逃げた方がよいのである。
5は、厳しい判断であるが、一度避難した人が一人の逃げ遅れた人を助けに行って、
結局六人が亡くなった、という例を話された。
6は、被災した場合、1週間くらい薬の供給が出来ない事態がおこることを報告された。
特に糖尿病の場合は投薬治療を再開することに、医者が躊躇う場合が多い。
従って、自分で2週間分くらい余分の薬を持っていることを勧められた。

行政の問題は大きかった。
報告1で事例を出したように、避難後、避難所における痛切な問題だった。
何より迅速な判断とと柔軟な対応が必要とされるが、
特に、市長自らが職員へ柔軟な対応をするよう指示したかどうかは、
今回東北の自治体で大きな違いをもたらした。
平時から一般的にいわれる縦割り行政の問題が、災害時にどれだけ弊害となって現われるか、
これは行政として考えを改めて頂きたいと思う。
また、先生が事例に出した市は、合併の繰り返しで行政区が大きくなり、
その下には旧市町村という構成がある。これは南房総市とまったく同じケースである。
縦割り行政の中に、旧市町村の横割りの行政が入り込む図式となる。
このように合併で大きくなった市が、どのようにかつての旧市町村に的確に指示が出せるのか、
また的確に要望に応えられるのか、東北で起きた問題を南房総市では真摯に受け止めて頂きたい。
1の、災害救助法に関しては、即刻市職員全員で取り組んだ頂きたい。
6は、医療現場からみた結果である。
避難した要介護者の4割が3月20日前後に亡くなった、という報告がある。現在多くの在宅医療は電気に依存している。吸引機やエアーマット等、電気が使えなくなった今回、要介護者の多くが肺炎や敗血症を発症して亡くなった。これらを防ぐには、7日以内に、ハザードマップで安全な場所を確認しながら、確実に医療施設、または要介護者用の施設に移動させることを提案された。


以上、今回の小野沢医師からの報告をまとめてみた。
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# by boshu-moyai | 2011-09-17 08:51 | 学習会

「被災地から学ぶこと」亀田総合病院 小野沢医師からの報告 1

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小野沢滋先生は、終始静かにそして、熱く語った。
それは、被災地を何度も訪れ、怒りと悲しみの現場を見続けたからだと思う。
救われたいのちをつないでゆくには、いくつもの壁をこえなくてはならない。
行政も市民も、
緊急時の対応とは何か、
それを平時から考えておくことの重要性が、明らかになった。

小野沢先生はAWA311の活動の一環として、
被災者を南房総へ遠隔避難させる現地コーディネイトのために被災地に入った。
3月29日から4月5日がその1回目となった。
雄勝から女川の被害はひどかった。石巻市内は北上川の氾濫の被害も大きかったが、
その一方、蛇田地区のJASCOは無傷だった。被災地は海辺だけだった。
石巻市、気仙沼市、南三陸町、被災の仕方はそれぞれだったが、
それにも増して違いが出ているのは、避難所の様子だった。

災害時に適応される「災害救助法」という法律がある。
通常、この執行主体は県であるが、この大震災では、市町村にその権限を落とした。
市によっては、市役所自体が存在せず、多くの自治体はその機能を失っていたのにも関わらず、
である。従って自治体の対応はバラバラとなった。
「災害救助法」では、¥1150/日の食事が国の10割負担で支給されることになっている。
(これは後、¥1500/日に引き上げられた)
また、3食付きで¥5500/日/人で旅館やペンション等に避難ができる。勿論、移動の費用も出る。
その後民間のアパートを仮設住宅として借りることになれば、¥60000/月が支給される。

この「災害救助法」を行政が知っていたかどうか、が各自治体の対応の差に現れた。
この市では、1日に、菓子パン2個とおにぎり2個が3ヶ月続いた。
水で固い菓子パンを流し込んでいた。
避難施設の担当は部屋によって産業通信課や教育委員会、
そして食事の担当は健康推進課があたる。
ここでは、行政がこの法律の存在さえ知らなかった。
市の職員は、前例がない、と東松島に視察に行った。
4月9日に食事改善の提言をし、視察が翌週、そして避難所でお弁当が出たのは、6月だった。
その後、昼には弁当、それ以外には菓子パン2個、おにぎり2個となった。
6月末、そこに果物1個と真空パックの煮物、漬け物が付いた。
努力をすれば、3食弁当も可能だろう。

しかし忘れてはいけない。近くのJASCOには食品は溢れているのだ。

一方、この「災害救助法」をよく知っていた自治体では、
被災後間もなく、近くの温泉に500人規模の避難の準備に入ったところもあった。

崩れた家の「立ち入り禁止」の張り紙は、被災後2週間以内に調査し貼らなければならない。
今回は被災の状況がひどく、間に合わなかった。
被災から2ヶ月経ってしまったとき、
もはや「立ち入り禁止」の張り紙を貼ることさえできなくなり、
住民はどんなに崩れかけた家でも、住んでしまっていた。

指定されている避難所に集まる、などというのは絵に描いた餅だった。
人々は安全そうで、食料が調達できれば、そこにいついた。
「ヨークベニマル(スーパー)・エレベーターホール」という「避難所」ができた。
人々は階下で売っていたレトルト食品の汚れを落とし、食べた。7月末までそこにいた。
「鈴木宅」という「避難所」もできた。そこには仮設トイレも設置された。
津波被害にあった場合、人々は移動ができなくなる。
一時避難ビル、というのがそのまま「避難所」となることもあるのだ。

WHOでは、避難所での一人当たりの広さを1坪弱と定めている。
もちろん、すべてそのようにはいかない。

避難所のリーダーとは誰で、何をするのか。
多くの場合、名目上は区長であるが、実質はそこに長時間いて口を出す人、となる。
決して、能力、ではない。
だから、このリーダーによって、避難所の様子もすいぶんと変わる。
4月21日、教育委員会は突如学校の再開を通達した。
体育館には600人の避難者がいた。若い大学生のリーダーは、家のある人を帰宅させた。
その人達は、壊れかけた家に住むこととなった。
残りを体育館に残した。区割りは一人一帖となった。
テレビ嫌いの教頭先生がリーダーの避難所もあった。
テレビが欲しい、と言えば、NHKはすぐにでもテレビを支給する。
防災無線も壊れたままで、余震が続く中、そこではラジオだけがたよりの避難生活となった。
小学校のリーダーは市議会員だった。ストーブがあり、湯を沸かし、生野菜もあった。
ここではPTAや学校関係者や行政、避難者との会議が連日行われ、
ここを明け渡さないことにした。
ついに開校はとりやめとなったが、義務教育が再開される、という通達から、
遠くに避難していた人々も、子どもを連れて帰って来てしまっていた。
公団住宅に、何世帯も同居することとなった。

国はすぐに仮設住宅を用意した。
しかし、設置場所を決めるのは市町村だった。土地がなかなか決まらなかった。
市長の力は強力だった。国がどうこうできる話ではなかった。

ここでは送られた避難物資を市の窓口一つで受け付けた。
避難物資は続々届いた。
5月中旬までグランド2個分の物資が雨ざらしとなった。
車椅子も何台もあったはずだった。けれど、どこにあるのかわからなかった。
ついに佐川急便に分類を頼んだ。二日で終わった。
タグが付けられ、コンピューターに入力された。その後は自衛隊が担当した。

 
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# by boshu-moyai | 2011-09-15 01:49 | 学習会

房日新聞に掲載されました

先日行われた、房州舫主宰の「被災地から学ぶこと」
亀田総合病院の小野沢滋先生からの報告講演会記事が房日新聞に記載されました。

http://www.bonichi.com/News/item.htm?iid=5805


私の方からは時間をみてご報告致しますが、
当日来れなかった方は、こちらを参考にして下さい。
多くの問題点や課題を含めての情報、そして知識の共有化が、
行政としても市民としても、地域ぐるみで防災意識を高める第一歩だと思っています。
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# by boshu-moyai | 2011-09-13 09:29 | 学習会

亀田総合病院 小野沢医師からのいのちの報告記録

「被災地から学ぶこと」で講演してくださる亀田総合病院の小野沢先生の報告記録です。
医療関係者向けのサイトですが、
医療現場からみた被災地の様子が、よくわかります。

http://expres-info.net/acv/2011/04/post-122.html#more
石巻の医療に関して: 亀田総合病院 小野沢滋医師より

http://expres-info.net/acv/2011/04/post-123.html#more
石巻にて、怒りと悲しみを込めて

http://expres-info.net/acv/2011/04/post-124.html#more
石巻市 避難所:遊学館から

http://medg.jp/mt/2011/04/vol135.html
Vol.135 石巻ローラー作戦についての報告:主観的な評価も交えて
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# by boshu-moyai | 2011-09-13 09:25 | 学習会

佐藤初女さんから(森のイスキア主宰)

真につらい体験をしている人をなぐさめることなど、私にはできません。
軽々しくかける言葉など、とても思いつきません。
ただわかるのは、その人のつらさが、自分には理解できないくらいに
深く大きなものだということだけです。
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# by boshu-moyai | 2011-09-11 23:18 | いのちのメッセージ

牡鹿半島〜女川

2011.9.4

AWA311の二日目の仕事は、
今回の被災で南房総に移転入院した方やその家族を見舞うことから始まった。
石巻の市街地から少し行ったところの住宅街だった。
谷地と呼ばれるその場所は、
ここが津波でやられたら、石巻は全滅だよ、といわれた場所だった。
再開されたお店を見ると、そこここに被害の後が見受けられた。
一見すると復興されたかにみえるいろいろな場所も、
この半年で、みんなが力を合わせてここまでにしたのだと実感した。
次の方の場所も、家の壁にあちこちに亀裂が入り、
屋根瓦は多く壊れてしまっていた。
どちらも家族の顔が穏やかで、
南房総に移転できたのを喜んでいたのが印象的だった。
ひとりの人間の最期を明るくすること、
これも医療の現場の仕事だと思った。

それから昨日少し回った牡鹿半島に入った。
女川の市街地から遠くはずれたところに、いくつかの仮設住宅が建てられていた。
今、支援として、どこで何が求められているのか、
現地に入っているボランティアも悩むところではないだろうか。
石巻も女川ももう公的には積極的にボランティアを受け入れている様にはみえない。
それでも現場は、これでいいのだろうか、という感慨もあった。
市街地から遠い仮設住宅では、
まだまだ、こんな支援物資も役に立っている様に感じた。

お昼近くになり、ひとまず女川綜合体育館で炊き出しをしている部隊と合流した。
この大きな体育館で、まだ120人の人が避難していた。
被災から半年経っているのに、まだ、体育館での避難が続いているのだ。
炊き出しは、焼きそばと豚汁だった。
近隣の仮設住宅の人々の分も含めて300食を用意した。

AWA311の男性部隊は、朝早く雄勝町へ向かっていた。
ここはなかなか物資の届かないところだと聞いていたからだった。


今、このブログを書き込む時点で、
わたしは石巻で医療支援をしている亀田総合病院の小野沢先生の講演を聞いている。
そのことに関しては後で述べようと思うが、これらの状況の違いは、
それぞれの自治体の行政の対応の違いからきていることもわかってきた。

わたし個人は当時日本にいなかったので、阪神淡路大震災を経験していない。
今回の東日本大震災は、被害が甚大過ぎて、
阪神淡路大震災の教訓が生かされない、とも聞く。
しかし、わたしたちは既に東日本大震災を経験してしまったのだ。
失われたいのちから、救われたいのちから、
わたしたちはまだまだ多くのことを学ばなければならないと思う。
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# by boshu-moyai | 2011-09-11 22:52 | 被災地と房州をつなぐ

石巻〜牡鹿半島〜女川

2011.9.2〜3

夜、AWA311とともに石巻に向かった。
どう考えても入らないだろう、という量の野菜やら衣類を車に詰め込んだ。
夜、8時過ぎに出発、院長は直前まで仕事で、
こんなハードスケジュールでやれるのは、医者と看護婦だけだろう。
さすが、途中で1時間ばかり、車中で仮眠をとった。
石巻に着いたのは、朝6時頃だった。

少し休んでから、わたしは炊き出し部隊と合流した。
石巻は前回来たから、市街地の様子は少しわかった。
渡波地区の黄金浜会館へ行った。
もう、ここで避難生活をしている人はいないのだけれど、
「炊き出し」を依頼されて、250食のカレーとサラダづくりのお手伝いとなった。
周囲の仮設住宅から、たくさんの人々が来た。
持ってきた衣類もずいぶん持って帰った。
ここでは一見するとみんな明るい顔をしていた。
明日の炊き出しの準備で、豚汁にカボチャを入れるかどうか、
議論する程、みんな元気だった。
それでも、まだ下着がない、というおばあちゃんの話を聞くのはつらかった。

次の日の避難所を回るため、牡鹿半島から女川へ向かった。
牡鹿半島の海岸地区は、同じ石巻市といえども、
市街地とはまったく様相が違っていた。
海岸や港は地盤沈下し、辺り一面、海の続きのようだった。
がれきもそこかしこに積み上げられているだけだった。
匂いもあった。
驚くような場所にこじんまりと仮設住宅が集まっていた。
周囲には食料さえも買えるような場所は、すっと見当たらない。
どうやって暮らしているのだろう、と思った。
聞けば、時々、車で物資が運ばれたり、食料を買うこともできるようだった。
それでも、この荒涼たる風景の中で生きるのは、
困難だと思った。

女川は原発の町だった。
この原発が壊れなかったのは、奇跡のようだった。
原発は高台にあった。これが功を奏した。
明日はこの女川で炊き出しをしたり、物資を配ったりすることになっていた。

地域地域で、復興の格差が生じていた。
牡鹿半島の海岸地区で、まるで置き去りにされたように、
仮設住宅で生活をしている人々のことを考えた。
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# by boshu-moyai | 2011-09-11 22:49 | 被災地と房州をつなぐ

宇梶静江さんから   大地よ

宇梶静江さんからのメッセージ〜東日本大震災に寄せて





大地よ

重かったか
痛かったか

あなたについて
もっと深く気づいて
敬って

その重さや
痛さを
知る術を
持つべきであった

多くの民が
あなたの
重さや 痛みとともに

波に消えて

そして

大地にかえっていった

その痛みに

今 私たち
残された多くの民が
しっかりと気づき

畏敬の念をもって

手をあわす
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# by boshu-moyai | 2011-08-31 18:18 | いのちのメッセージ

講演のお知らせー「被災地から学ぶこと」小野沢滋氏(亀田総合病院 地域医療支援部長)

未曾有の大災害が起きた今だからこそ、
当地域で備えるべきことを一緒に考えてみませんか。


房州舫では、亀田総合病院の地域医療支援部長、小野沢滋氏をお迎えし、
被災地での活動を通して、
今、この安房で考えなくてはならないことを検証したいと思います。
小野沢先生は、東日本大震災直後から、被災地に何度も訪れ、何日も滞在され、
被災地の医療現場を経験されました。
そこには、医療関係者ばかりでなく、
行政を含めて、市民全体で学ぶべき課題が多く残されました。

多くの失った命と救われた命から、
今一度、この安房地域の津波対策を皆さんで考え、行動に移しましょう。


【日 時】9月10日(土) 午後2時〜4時
【場 所】南房総市千倉公民館
【内 容】①講演:被災地での活動
      〜津波被害に対して、行政・市民が備えるべきこと〜
      講師:亀田総合病院 地域医療支援部長 小野沢滋氏
     ②意見交換
【対象者】地域住民・行政関係者

【問合せ】いのちといのちをつなぐー房州舫(もやい)
     事務局    TEL/FAX. 0470-44-1780
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# by boshu-moyai | 2011-08-25 19:57 | 学習会

会員募集

房州舫は、いのちの大切さを第一とし、共に生き、共に学び、共に働く
いのちといのちをつなぐ地域づくりを目指します。

この活動を支援し、協力してくださる会員を募集しています。
いっしょに活動してみませんか。

事務局までご連絡下さい。
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# by boshu-moyai | 2011-08-25 19:00 | 事務局より

虹の架け橋プロジェクト

福島の子どもたちが、
南房総に来て、思いっきり、遊んだ。

流しソーメンを食べるために、自分で竹の器を作った。
のこぎりを使うのも、大変だ。ちょっと手が痛くなったね。
竹のお箸も、自分で作った。
小刀を危なくないように、用心しながら使い、竹を削った。

輪切りの竹のあまりで、竹ぽっくりを作って遊んだ。
あまりの竹で、竹とんぼも作った。


お腹がぺこぺこになったら、ようやく流しソーメンが始まった。
上手にソーメンを取った子、取れない子、いろいろいろいろ。
トマトも流れてきた。手づかみで取った。


思いっきり、外で水遊びもした。


かき氷も食べた。
自分で氷を力一杯ぐるぐるまわした。
ブルーハワイ、ストロベリー、以外にみんな、抹茶が好き。


コットンクラブのお手製のハンモックも活躍した。
ブランコみたいにしたり、居眠りしたり。
よかったな。持ってきて。

福島の子どもたち。
27人の福島の家族。
今日は楽しかったね。ありがとう。


夜はキャンプ。BBQだよ。

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# by boshu-moyai | 2011-08-07 11:46 | 被災地と房州をつなぐ

石巻市慰霊祭 灯籠流しと竹灯篭

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竹灯篭は 一夜限りの灯り
灯籠流しは 戻ってくることのない 一回きりの船出

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竹灯篭を作るのに、11月には山に入り、竹を切る。
灯篭にするには、その年の竹を使う。
竹自身の油が、蠟燭の火の照り返しとなり、灯りは美しく輝くそうだ。
一度使った竹には、煤が付き、灯りはやはり映えなくなる。

一夜限りが最高の竹灯篭
わんだらのしのちゃんから聞いた話

一夜限りの竹灯篭を石巻に届けたみなさんは、とても謙虚に黙々と働いた。
わたしはこの日のために、皆さんが何日もかけた準備を、
ひとつも手伝うことが出来ず、この当日だけの参加となった。
それでも、こんな機会を頂いたことに、深く感謝した。


石巻は、大きな地方都市だった。
地盤が沈下し、駅前の北上川の川辺は、満潮時には地面から水が湧き出て、
辺り一帯を大きな水たまりとした。
北上川の川幅は、何メートルか広くなった。
設置準備が終わり、点火まで少し時間があった。
川縁を自転車を押していたおじいちゃんと話しをした。
車で逃げた若い人と、老人はだめだった。
みんな流された。と淡々と話した。
5月もここを訪れた人から聞くと、マチナカはずいぶん片付けられたようだった。
確かにマスクも必要ではなく、一見すると、暮らしは元に戻りつつあるようにみえた。
でもそれは、
わたしたちがこの場所に午後1時に着き、ひたすら慰霊祭の準備をしていて、
外を見る機会がなかったから、
だった。
慰霊祭が終わり、ホテルに着いたのは10時を回っていた。

朝早く、地震があった。
翌朝、バスは石巻の湾岸から市内を抜けた。
石巻は想像以上に、大きな地方都市だった。
湾岸には、多くの工場が建ち並んでいた。
水産加工の工場はもちろんのこと、
製紙工場、段ボール工場、プラスチック工場、化学工場、なにやらわからない、
たくさんのかなり大規模な工場があったのが、想像できた。
壊滅だった。
ここでたくさんの人が働いていたんだ、と思った。
みんな仕事をなくした。
命をなくした人もいるのだろう。
工場からでた、たくさんの原材料が山となっていた。
紙、材木、発泡スチロール
廃棄となった車の山もあった。
市内で、片付けられた、と言われた、流された車は、ここにあった。
地盤沈下で、水がひかない田んぼがあった。
居住地では、吸い上げポンプを設置している所もあった。
家々がそこに建っていたであろう痕跡、土台だけが残る。
家が残っている。けれどそれは半壊、または全壊に近く、そこにあった。
一面の一面の、被災のあとだった。

言葉を失いながら、見ていた。
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# by boshu-moyai | 2011-08-03 11:39 | 被災地と房州をつなぐ

石巻市慰霊祭 石巻に小さな灯りを届ける

7月31日 午前3時54分 地震発生
カーラジオをつける
震源地、福島M6.4 

前日30日、房州舫2011の第二回の集会を終え、
なんやかんやと忙しく、1時間も眠っていなかった。
集会の反響は、とても良かった。
100部用意した資料は、手元に16部しか残らなかった。

翌31日は、石巻市の慰霊祭に参加するため、
朝、3時45分に家を出た。
待ち合わせの場所で車を停めると、ラジオからは地震速報が流れた。

被災地に入るのは初めてだった。
保田川頼朝桜の里づくり実行委員会と、館山・南房総市の有志達が
「石巻市北上川の川開き・東日本大震災慰霊祭」に
石巻に小さな灯を届けよう、と参加した。
わたしは、当日設置のボランティアとして加わった。

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神戸からきた竹灯篭に、灯が灯る。
南房総の竹灯篭にも、灯が灯った。
石巻の子どもたちが描いたという紙の灯篭にも、灯が灯った。

宗派を超え僧侶達が集まった。市民のご詠歌で慰霊祭は始まった。

僧侶達の読経が続いた。

東北最大の北上川を、あの日、大津波が襲った。

http://www.youtube.com/watch?v=k6Pv4JrSFJE&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=P9cE-6Ldjc4&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=DW0dqWR4S7M&feature=related

石巻市では、3000を超えた人々が、命を失い、
現在でも、1000人近くの人々が、いまだ、行方不明となっている。

http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110801ddm001040065000c.html
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110801ddm001040065000c.html

その一人一人の名前が書かれた灯篭が、北上川を埋め尽くした。
一万の灯篭が、あの日と同じ北上川を、小さな灯を灯しながら、流れて行った。

となりで、女の子を連れた若いお母さんが、
「おじいちゃんとおばあちゃんの灯篭が流れて行くんだよ。」
と、涙を流しながら、子どもに話し、祈り続けていた。

もう一度最後にご詠歌が詠われ、慰霊祭は終了となった。


一万個の灯籠は、慰霊祭が終了しても、流れ続けた。
2時間を過ぎても、灯篭は、北上川を、流れ続けた。


ひとりひとりの魂が 海へと帰って行った
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# by boshu-moyai | 2011-08-03 11:33 | 被災地と房州をつなぐ

原発の基礎の基礎

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最後の40分は、原発の基礎の基礎、ということで、沖山氏に、何とか、皆さんに分かりやすく、ということでお願いした。高校生の時の物理や化学を思い出そう。

内容は、
1.放射線も、放射物質も、原発も、人間も原子で構成されている
2.放射線はどのようにして発生するのか。安定と不安定。
3.核分裂とエネルギー、原子爆弾と原子力発電について
4.なぜ、福島原発では「核分裂」が止まったのに熱が発生し続けているのか
5.「放射能」「放射線」「放射物質」等の意味
6.なぜ、放射線は人体に危険か
7.今、大きな問題になっている放射性セシウムについて
8.今後、私たちは原発事故にどう立ち向かえばよいか
9.今後の取り組みについて
10.参考資料

以上の順で話された。今、多くの日本人は原発問題に関して、何を信じていいのかわからなくなっている。「安全神話」は完全に崩壊した。それでも、私たちには分からないことが多すぎる。


内容に関しては、房総ナウ 1 房総ナウ 2 でひととおり触れています。
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# by boshu-moyai | 2011-08-02 08:23 | 学習会

房州舫2011企画 vol.2 市長出前講座報告会と学ぶ会 報告

7月30日、南房総市千倉公民館で行われた、出前講座の報告と学習会の報告。

千倉町は始まる前、局所的に大雨が降ったりもして、皆さん来てくれるのだろうか、と今回の人々の関心度は、まったくわからなかった。
ところが、始まる10分程前から、続々、千倉支所同様、3階まで上がるのは、お年寄りにはなかなか大変だ。

用意していた机と椅子は足らなくなる。急いで椅子だけ配置する。60名を超えた。ざーっと見渡すと、今回は年齢層が若干、若くなったような。50代くらいが増えている。30代もいる。女性の方が過半数を占める。これは原発への関心が高いせいか。
今回初めて、市長の出前講座(の報告)を聞く人、と尋ねてみると、3/4くらいの人が手を挙げる。なるほど、これは丁寧にやらないと、ということで、まずは、市長出前講座の報告会から。

今日はこの3部構成。

・南房総市長出前講座—南房総市の津波対策—の報告会
・東日本沿岸部を襲った津波映像と津波対策先進地・沼津市から学ぶもの
・原発(原子力発電)の基礎の基礎

今回は、全部スライド上映にして、手元の資料とスライドは同じ内容にした。なるべくお年寄りにも見やすいように大きな文字と写真を使って、この前の報告を議事録に従いながら説明する。

詳しい内容報告は、以前のブログから

次には、沖山静彦氏からの、東日本大震災の時の津波の映像から始まる。宮城県名取市の動画。一瞬のうちに自分のすぐそばまで迫りくる大津波に、人はたじろいでしまう。振り返りもせず、一目散に逃げる、というのは、実はなかなか難しいのか。現実に圧倒されている。これがその時とった人々の行動。ずっと遠くに見えた大津波は(実際には津波にも見えない)瞬く間に、街を人々をのみこんだ。それから、沖山氏は、南三陸町と房州の各市町との類似点と相違点について説明する。大きく違う点、房州には海岸地区に高台がない!津波が見えてから逃げたのでは遅い。地震と同時に(収まってから)逃げる、なんてできるのだろうか。
次は、沼津市からの報告。さすが、津波対策先進地、いろいろな工夫がある。『地震だ!津波だ!すぐ避難』の表示は危機感が迫っている。『津波に注意』の、のんびりとした南房総とは、大違いだ。斜面を利用した高台へ通じる階段や、つづら折りの階段。とにかく、高い所を目指すように工夫している。それから高い津波避難タワー。一時的に、海辺の住民を守るよう、そのタワーには、何と100人もの人が収容できる。津波避難協力所、というのもある。それから、何より違うのは、防災訓練の多さ。年3〜4回実施され、災害弱者に対する対策もとっている。防災教育も充実している。

さて、私たち、南房総ではどうするのか。
出前講座の市長の話しをよく理解し、考えてみる。

1. ハザードマップ完成までに、個人、または地区毎に行うもの
・ 津波関連の用語の説明理解
・ 等高線を書き込んだマップを至急制作することを市へ要請
・ かつての千倉町で配布された津波浸水地図の復活
・ 海抜表示その他の表示の設置場所等の確認
これらのことは、それほど経費もかけずに、市はすぐに実行できるのではないか。
2. 防災無線のデジタル化までに現在のアナログの防災無線は改善できないのか
 ⇒携帯ラジオの配布の案は、今回も出た。
3. 避難経路に関しては地域住民でよく話し合い、安全で短時間で行けるコースを探す
4. 周囲に適当な避難場所がない地域は、積極的に市に働きかける
里山整備が必要なところも、その具体的な計画をたてる
5. 津波避難ビルを確認する 小学校は再編の問題もあるのでそれを含めて考える。
6. バリアフリー化が必要な個所を具体的に挙げる
7. 防災訓練の徹底
・ 津波を前提とした防災訓練の徹底
・ 独居老人、要介護者の避難問題
・ 民生委員、地区毎の市民同士の連携
8. 子どもを含めた防災意識を高めるための活動
9. 要介護者、認知症患者等の避難問題
10.原発問題も含めて学ぶ

そんな、案が見えてきた。
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# by boshu-moyai | 2011-08-01 08:21 | 学習会

房州舫2011企画 vol.2 市長出前講座報告会と学ぶ会

みんなで考えよう房州津波対策

 ◎南房総市長出前講座の内容報告
 ◎みんなで学ぼう考えようー地震・津波・原発のこと

    【日時】7月30日(土)午後4時〜6時
    【場所】南房総市千倉公民館

 6月25日に開催された、南房総市長の出前講座「南房総市の津波対策」の内容報告と学ぶ会です。市長の出前講座に参加できなかった方は是非いらして下さい。講座内容をご報告致します。
 市民として、これからの課題を皆さんで話し合いましょう。
 また、前回触れました沼津市からの報告に関して、実際に視察に行かれました沖山静彦氏より、津波対策の先進地としての取り組みを、スライドを見ながら学びます。それから、原発に関して、やさしく解説していただきます。
 どなたでも参加は自由です。みんなで学び、考えましょう。

「津波対策先進地・沼津市から学ぶもの」
(スライド上映)
「原発の基礎の基礎」
 講師:沖山静彦
   (日本信頼性学会・故障物性研究会会員)


問合せ先:房州舫(もやい)2011 事務局
TEL/FAX. 0470-44-1780
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# by boshu-moyai | 2011-07-01 08:16 | 学習会

南房総市市長出前講座 房総ナウより

房総ナウで記事がupされました。
房総ナウ コラムより
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# by boshu-moyai | 2011-06-27 18:26 | 市長出前講座

市長出前講座 報告

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去る 6月25日に、南房総市長をお招きし、南房総市千倉支所におきまして、「南房総市の津波対策」についての市長出前講座が開催されました。当初の予定をはるかに超えた100名以上の市民参加となり、皆さんの関心の高さを伺わせました。南房総市長の前向きな対応と相まって、市長と市民の皆さんの間に活発な意見が交わされました。
 ここに、その出前講座で話されました内容を、市民の方々にご報告致します。参加された方は、内容確認として、また参加されなかった方は、市長が語る南房総市の津波対策として、
地域の、個々人の今後の津波防災対策として参考にして頂きたいと存じます。

南房総市長出前講座 
 【日程・場所】 6月25日(土)14:00〜16:00  南房総市千倉支所    出席者 100名超
 【テーマ】 南房総市の津波対策
  —津波てんでんこ、その前に、みんなで考えよう津波対策 
  質問内容ー「南房総市地域防災計画」は、どのように見直されるのかー
① ハザードマップの見直しに関して
② 防災無線、避難勧告に関して
③ 避難経路の表示に関して
④ 避難経路に伴う階段等・高台・避難場所としての里山の整備に関して
⑤ 津波避難ビルに関して
⑥ 港湾地域の重油タンクに関して
⑦ 避難所に関して
⑧ 津波を想定した防災訓練の徹底に関して
⑨ 防災意識を高めるための活動に関して
⑩ 東日本大震災における南房総市の、避難者の受け入れ態勢に関して

市長からの説明
① ハザードマップの見直しに関して
・南房総市の新たなハザードマップは、30年内に起こるであろうとされる、東海地震、または、そ れに連動して起こる地震を想定する。
・東海地震による南房総の影響は、津波の高さ2〜3m、津波到達時間20分、東海・東南海・南海地
震が連動して起こる場合は、津波の高さはその1.5倍の5〜6mになる。南房総市では、危険度を
より上げた、以下のもの想定する。
・津波の高さ10〜15m、津波到達時間10分、避難する距離300m周囲、これが基準となる。
・ 現在、これらの条件を充たす避難場所をチェックしている。
・ 新しいハザードマップの作成には1年を要する。

② 防災無線、避難勧告に関して
・ 無線にはアナログ電波とデジタル電波がある。千倉町はアナログであるが、防災無線のデジタル化は国策として進められている。
・ 今、南房総市はアナログで7つの周波数をもっており、これをつぎはぎしながら使用しているのが現状である。デジタルでは一つの自治体に一つの周波数しか認められないので、これを一つにまとめながらデジタル化へ移行する。
・ 現在は設計業務に入っており、来年度以降は、機械の入れ換え、パンザマストの撤去等が始まるが、その費用は32〜33億円かかる。
・ 本来設計と工事とで3年かかるところを2年で実施したい。
・デジタル化に伴い、現在の戸別無線機は使用できなくなる。新たな戸別無線機は市から配布する。(この費用も予算には含まれている)

③ 避難経路の表示に関して
・ ハザードマップが完成し避難所が確定した後、避難経路に関しては、住民自らが考え確認することを基本とする。

④ 避難経路に伴う階段等・高台・避難場所としての里山の整備に関して
・ 周囲200〜300m以内に高さ10〜15mの津波に耐えられる避難場所がない所に関しては、そのような場所を作る。
・避難は車ではなく、自分の足で逃げることを基本とし、避難場所を考えて欲しい。

⑤ 津波避難ビルに関して
・ 現在千倉町の避難ビルは、「千倉館」「スパラダイス夢みさき」「ミラマール千倉」と協定を結んでいるが、これ以外にも高台にある旅館、ホテル等、増やす方向である。

⑥ 港湾地域の重油タンクに関して
・ 今回の東日本大震災でも気仙沼のように、港湾地域の重油タンクの火災の被害は大きかった。平
館漁港の重油タンクは現在の消防法の規制をクリアしているものであるが、津波の被害には堪えられないだろう。
・ 重油タンクは 沿岸部共通の全国的な問題なので、津波に対して強化するよう国に要望していく。動向を見ながら、市としても考えをまとめてゆく。

⑦ 避難所に関して
・ 現在千倉町で、広域避難場所に指定されているのは、B&G(海洋センター)、千倉中、と4つの小
学校(健田小、朝夷小、忽戸小、七浦小)の6ケ所である。
・ 職員の配備体制を見直す⇒複数の職員配備、役割分担をする。
・今回、各区避難所の様子など外部の情報が入り難かった。
・ 対策本部(本部長:市長)と避難所とをつなぐ防災無線のデジタル化に伴う無線機を配備する。
・ 各広域避難場所へ備蓄倉庫を設置する。
・ 災害時、職員は広域避難場所には急行するが、公民館や集会所のような避難所は住民自身が対応することになる。
・ 広域避難場所へ移動する前の避難所では、食料の備蓄もないので、自主防災組織や区長を中心とした地区毎のコミュニティで、自主的な秩序を形成し対応して欲しい。

⑧ 津波を想定した防災訓練の徹底に関して
・ 現在行っている地区毎の自主防災訓練に、積極的に参加して欲しい。
・ 避難所となるような高台を住民自ら探し、防災訓練の時には活かして欲しい。

⑨ 防災意識を高めるための活動に関して
・ 防災意識を高めるために、9月号の広報誌で緊急特集を組む。
・ 小中学生の防災に関する学校レベルの教育を行う。
・ 防災マップを配布したときは、市から防災に関する考え方の説明を行い、家庭や地域での防災意識を高めるようにしたい。

⑩ 東日本大震災における南房総市の、避難者の受け入れ態勢に関して
・ 三芳の農村環境改善センターに南相馬の2家族8人が避難していたが、5月中に故郷近くまで戻り、仮設住宅の空きを待つ、ということで帰られた。
・ 地域の中では個人的に避難者を受け入れている方もある。税金等の問題は、国の手続きに従って対応している。
・ 花の谷クリニック等の医療施設で、特に身体の不自由な被災者を受け入れようとしている。それに市は協力してゆく。


市民との質疑応答
① ハザードマップの見直しに関して
・ 津波に関する用語の説明が不十分である。津波高、津波遡上高、津波浸水深を市民に分かりやすく説明するものが必要。
・ 漁村センター前にある「元禄地震の再来想定津波高」の表示は正しいのか。津波浸水深ではないのか。早急に正しい表示にして欲しい。
⇒(市長)誤解を招くので撤去したい。県と話し合いながら対策していく。
・ 海抜表示設置数が少ない。設置場所にばらつきがある。海抜表示の不正確と思われる個所がある。
・ 新たなマップ作成に一年を要するというのは長くないか。
⇒(市長)県、国を通すとなると、何年もかかる。市として早急に独自に進めるが、市民が普段
から確認しあうことが重要である。
・ 南房総地域が一番想定しなくてはならないのは、本当に東海地震なのか。国土地理院からも、南関東地震は相模トラフを震源とする、元禄・関東大震災と同じ型のもので、これが起きる、という予測も出ている。ここで起こったら津波の到達時間は数分である。文部省からは南関東地震予測が70%というデータがあり、いずれも国の調査期間による発表も検討すべきではないか。
⇒(市長)南房総市のハザードマップでは、東海地震を想定したものより、より危険度を上げた
ものに対応している。
・ 沼津市では詳細な津波の浸水域を書き込んだ地図が作成されている。同様とまではいかなくても、等高線や到達時間を書き込んだ地図も必要ではないか。
⇒(市長)海底の地形まで調査し、津波遡上高をデータ化するのには時間がかかりすぎる。優先すべきは避難所の確認である。
・ 現在インターネットでしか入手できない津波ハザードマップも、新しいものは市民に全戸配布して欲しい
⇒市長承認

② 防災無線、避難勧告に関して
(市長)東日本大震災発生時、南房総市は合併前の防災無線システムをつぎはぎして使用していることが理由か、何らかのシステム障害が発生し千倉町への連絡が入らず遅れた。市長は把握していなかった。
・ 通信衛星を活用した緊急情報伝達システムー(全国瞬時警報システム)J-ALERTを導入したらど 
うか。
⇒(市長)既に導入している。(防災課から)震度4以上の地震が予測される場合、防災無線に自動的に流れるようになっている。
(市民から講座終了後に質問)
・ 防災無線をデジタル化する前に、コミュニティFMの開局と携帯ラジオの配布、という選択肢はないのか。
⇒(市長)開局しても、中継基地の敷設に膨大な費用がかかりすぎるために無理である。

③ 避難経路の表示に関して
・ 表示板の様式、設置位置が不統一である。
⇒市長確認
・ 地震発生時、私たちは居住しているところにいるとは限らす、地元に不慣れな観光客もいる。現在の避難場所を書き込んだだけの表示ではなく、避難場所までの経路を矢印で表示したものを電柱等利用し、設置して欲しい。現在、川口地区等、一部にだけはあるようだが。
⇒市長承認。

④ 避難経路に伴う階段等・高台・避難場所としての里山の整備に関して
・避難経路に伴う整備を、市民が自主的に行った場合の費用はどうなるのか。
⇒(市長)避難場所として適当な里山や高台があった場合、階段や道の整備に要する費用は市が負担する。

⑤ 津波避難ビルに関して
⑥ 港湾地域の重油タンクに関して
(以上2項目については特に質問なし)

⑦ 避難所に関して
・避難所には、車椅子を使用している人や、要介護者も入る。バリアフリー化が必要ではないか。  
⇒(市長)避難所のバリアフリー化は考えている。
・ 今回、車で避難した方もいたが、道路の渋滞、駐車場の確保や整列など多くの問題を含んでいる。
しかし、一方、身体が不自由で車での移動しか手段のない人もいるだろう。
⇒(市長)車での避難ではなく、自分の足か自転車での避難を考えて欲しい。
・ 阪神大震災の経験から、広域避難所は避難が長引いた場合、他の避難所からも人が集まるようになる。その収容人数に見合ったトイレの数が必要となるであろう。

⑧ 津波を想定した防災訓練の徹底に関して
・ 住民一人一人が責任をもって逃げろというが、独居老人も多く、とっさの場合はうろたえてしまうのではないか。やはり大事なことは市長、区長、組長といった連携で不意の災害に対応できる訓練を文書によるものばかりではなく、身体を使った実際の津波防災訓練をすることが必要である。避難の状況、訓練の成果の報告などを通して、津波防災訓練の改善、見直しをする、という行動を起こす時期に来ているのではないか。
⇒(市長)災害弱者(高齢者や要介護者)に対応するための要支援者リストを消防団と情報を共有している。しかし個人情報開示の問題から登録は十分ではない。地域の訓練を通して、日常からお互い声を掛け合ったり、助け合ったりすることが必要であろう。
・ 自主防災組織として、千倉町は昭和50年代から30年間防災訓練を行ってきた。集団避難、初期消火、応急救命の3点が主なものである。それらは地震が前提とはされていたが、津波防災ではなかった。津波を前提とした防災訓練はまったく違った観点から行わなくてはならないだろう。習慣として行ってきたこの大事な防災訓練の内容を、津波を前提とした内容に変えてゆく必要があるだろう。同じ千倉町の中でも地区毎に状況は違い、画一的な内容指導はできないだろうが、市として、一つの行動指針を示して頂けないか。
⇒(市長)9月には防災訓練が行われる。今年の場合、やはり津波防災を念頭に置いたものを実施するよう、区長とも話し合い、実効性のある訓練になるように考えてゆきたい。
・ 南千倉海岸でサーファーの津波防災訓練に関し、大隅市の例のようにライフセーバーや消防団、
 警察、海の家の人々をも含めた大規模な訓練を実施するような場合、協力をお願いできないか。
⇒(市長)ライフセーバーの方にはそのような役割を担って頂きたい。計画段階から話し合いましょう。

⑨ 防災意識を高めるための活動に関して (特に質問なし)
⑩ 東日本大震災における南房総市の、避難者の受け入れ態勢に関して
(花の谷クリニック)
・ 今回の震災に際し、現在石巻市との連携で要介護者を受け入れている。ここで提案したいのは、災害時における要介護者のための避難所の用意である。今回はB&Gに避難し一晩を過ごした。千倉苑の方々も健田小に80名避難したが落ち着かず、大津波警報はまだ解除されていなかったが2時間程で帰った。このような事態と実際の被災地の様子から考え、要介護者の避難に体育館形式の避難所は難しいと思われた。そこで要介護者のための避難所を別途に用意することで、そこは例えば避難が長期化した場合、健常者が利用できる場所となるのではないか。
・ 津波だけではなく、今回の停電も含めた災害時には、病院から病院への受け入れや、例えば特老施設間の受け入れ、また施設には入居していないが要介護者を施設に受け入れる、というようなネットワークが確立できないか。公の施設だけでは十分な対応ができないのではないかと考える。
⇒時間がオーバーしたため、市長と個別に話し合われた


今後の課題
1. ハザードマップ完成までに、個人、または地区毎に行うもの
・ 津波関連の用語の説明理解
・ 等高線を書き込んだマップを至急制作することを市へ要請
・ かつての千倉町で配布された津波浸水地図の復活
・ 海抜表示その他の表示の設置場所等の確認
2. 防災無線のデジタル化までに現在のアナログの防災無線は改善できないのか
3. 避難経路に関しては地域住民でよく話し合い、安全で短時間で行けるコースを探す
4. 周囲に適当な避難場所がない地域は、積極的に市に働きかける
里山整備が必要なところも、その具体的な計画をたてる
5. 津波避難ビルを確認する 小学校は再編の問題もあるのでそれを含めて考える。
6. バリアフリー化が必要な個所を具体的に挙げる
7. 防災訓練の徹底
・ 津波を前提とした防災訓練の徹底
・ 独居老人、要介護者の避難問題
・ 民生委員、地区毎の市民同士の連携
8. 子どもを含めた防災意識を高めるための活動
9. 要介護者、認知症患者等の避難問題
10. 原発問題も含めて学ぶ
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# by boshu-moyai | 2011-06-27 07:20 | 市長出前講座

房州舫2011企画 vol.1 市長出前講座のお知らせ

房州舫(もやい)2011 企画
南房総市長 出前講座開催のお知らせ

 3月11日、未曾有の災害、東日本大震災から2ヶ月を過ぎました。しかしながら、福島原発事故という人災を含め、復興は遅々として進んでいないのが現状です。
 一方、南房総市の津波対策は、現在どのようなものなのでしょう。余震は相変わらず続き、次なる大きな余震、また、東海地震等の恐れもあるなか、その後、南房総市の津波対策にどのような変化があったのか、まだ市民に具体的に示されてはおりません。
 そこで、以下のように、南房総市長出前講座を開催し、津波対策において、行政の指針を示して頂くと同時に、市民がやれることを、参加した皆さんとともに考えたいと思います。


日 程  6月25日(土)  午后2時〜4時   4時〜懇談会 
場 所  南房総市役所千倉支所     
講座名  南房総市津波対策
       —津波てんでんこ、その前に、みんなで考えよう津波対策—

 内容に関しては、次のFAX用紙を参考にして下さい。記載されたこと以外に、市長に伺いたいこと、市民の皆さんで話し合いたいこと等ございましたら、下記までご連絡下さい。
参考資料
http://www.city.numazu.shizuoka.jp/kurashi/bousai/download/tunamitaisaku.pdf
http://www.pref.chiba.lg.jp/bousai/bousaishi/kantou.html



房州舫2011事務局
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# by boshu-moyai | 2011-06-13 07:17 | 市長出前講座

事務局

房州舫事務局
 〒295-0021
  南房総市千倉町平館768
  TEL/FAX. 0470-44-1780

 メール   boshu-moyai◎excite.co.jp   (◎を@に変えてご連絡下さい)
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# by boshu-moyai | 2011-06-12 08:02 | 事務局より

房州舫が志すもの

舫(もやい)って、なに。
「てんでんこ」って、なに。

とこんな質問から始まることが多かった。

舫結び(もやいむすび)、という美しい結びの言葉がある。
漁師達が舟を港に着け、杭と結びつける時に使う結び方だ。

もやい結びは、結ばれるととても強く、そして、ほどきやすい。

わたしは、人と人とのつながりも、そんな関係が望ましい、と考えている。



それは、てんでんばらばら、といった現代の個人主義とは、違う、と思う。
それは、個々をがんじがらめにしていた古いムラ社会とも、違う、と思う。


それはやはり、舫(もやい)と呼ぶにふさわしい関係。



独立した個々人が、自由に快活に日々を過ごし、
そして
互いの関係は、必要に応じて、強く結ばれ、
そして、また、
自由な個々に帰っていけるような、


そんな、おおらかで自由な、そして力強い、関係をもてたら、
どんなにか嬉しいことだろう。
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# by boshu-moyai | 2011-06-12 07:01 | ごあいさつ

房州舫ごあいさつ

房州舫2011は、この震災を機に、
もう一度命の大切さや人々のつながりの大切さを考えてみよう、
という気持ちから発せられました。
房州にお住まいの方々、房州に関わりのある方々、
その個々人のつながり、そのものが房州の舫です。

舫(もやい)とは、
船と船を繋ぐもの、ともにはたらくもの、というような意味があります。
ここで出会った人々が、
それぞれ、様々な場所で新たな舫を創り上げること、
そんな願いを込めて名付けました。

海に囲まれ、海から多くの恩恵を受けて育った房州の人々が、
既にこの「もやい」という言葉さえも忘れています。
言葉の風化とは、まちの風景の風化、そして心の風景の風化でもあります。
「もやう」というこの美しい日本の言葉と、その意味を、
これからの行動を通して、皆さんとともに考えてゆきたいと思います。
そのような行動をおこすことが、
今回失われた、ひとりひとりの命を忘れないことだと、そう思っています。

その第1歩として、
南房総市長をご招待しまして、
「南房総市の津波対策」に関してのお話をお願い致しました。
副題は<津波てんでんこーその前に、みんなで考えよう津波対策>です。

津波てんでんこ、とは、
津波の時はてんでんに、各自ばらばらで逃げろ、
自分の命は自分で守り、一族が亡びないように、
そしてたとえひとりだけが助かっても、決してそれを非難しないように、
といった、何度も津波の被害にあった東北の人々の教えです。

最終的にそのような厳しい判断をするために、
今わたしたちがすべきことは何か、
そのことをみんなで考えよう、ということで、
皆さんに集まって頂きました。
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# by boshu-moyai | 2011-06-11 06:41 | ごあいさつ